1月のある土曜日、一人でサンプル作成のために織機の前にいました。
試織(ししょく)、あるいは試し織りと言われる本番前の(色や織りなどの)確認作業です。
その時感じた、ぼくにとっての「音楽と織物」について書いてみました。
土曜日はいちおう工場としては休業ということになっていて、
(もちろん僕も妻も父もそれぞれ個人的にはやることがあるのですが)
気分的にも少しリラックスした状態での作業です。
一人しかいない静かな工場で織機(しょっき)の運転レバーをいれると
カシャン!カシャン! とシャトルが勢いよく杼箱から打ち出され、
上下に開いたタテ糸の間にヨコ糸が一本ずつ入り、すぐさま筬打ちが行われていきます。
管に巻かれたヨコ糸が終わるまで規則正しいリズムで織られていく時はというのは
他に何もトラブルが起きていない証拠で、織り手としてはもちろんですが、
機械を調整する立場としても本当に気持ちがいいものです。
かつては織り手一人当たり2~3台を担当するのが当たり前でした。
動力で動く織機は「自動織機」と呼ばれます。
(いわゆる手織りのことは、この辺りでは手機(てばた)と呼んでいます)
自動の定義は何か問題があった時に「自動」で止まれることです。
現在わたしたち井清織物で織っているものは
他の機屋さんでは扱わないような素材であったり、独自で生み出した織り方であったりします。
そして、わたしたち自身がはじめて挑戦する織物もとても多いのです。
ですので量産には不向きなものがかなりあります。
しかしそれは織物業として生き残るために考え抜いた結論です。
その結果、織り手一人が織機一台に集中する、というのが普通になりました。
そもそも現在の井清織物で作っている織物は
自分の目で「織物の良し悪し」を確認し続けていないと対応できないものが大半です。
その判断を機械に「自動」でお願いするには当然ですが限界があります。
そういう織物なので予想されるトラブルとその時の対処を想定しながら、
緊張して織機の前に立ち、運転レバーを入れてモーターを動かすと
あの大きな機械が動き始めます。
シャトルが行き来する時特有の衝撃音を規則的に発しながら…。
カシャン!カシャン!
そんな状況なのでスムーズに事が進むと本当に嬉しくなります。
話はもどってその土曜日、スムーズに織られていく織物をみていると
久しぶりに頭の中に音楽が聞こえてきました。
「pass the peas! pass the peas!」
ジェイムズ・ブラウンの「パス・ザ・ピアス」という、僕が昔大好きだった曲です。
(実際はTHE JB’Sというバックバンドの曲です)
懐かしいな、と脳内BGMを楽しみながら一人、思索が始まりました。
そしてこんなことをメモに取っていました。
「織物とダンスミュージックは根っこが同じ」
「リピートの美学」
「虚飾な無駄は省く。
だけどムラや不揃い、驚き、フレッシュな感覚、穏やかさ、
そういった人間味のような役に立たないけど、”味わい”は必要」
「目立つためだけに奇をてらったりはしない」
「しばらくすると自然と体が反応している」
ぼくが好きな織物は、(もちろん)動いたりしないのに時間の流れを感じられるものです。
紋紙という織物データが繰り返されてできるのに、繰り返しを退屈に感じない不思議さ。
むしろ繰り返してこそ価値が増幅されていく感覚。
そういうものが好きだし、自分がやるべき織物だと思っています。
(できているという訳ではなく、目標です)
今、文字に起こして読み返してみましたが、
「だから何なんだ?」という話でしたね。
でも個人的には結構大切なところなんです。
ちなみにぼくはダンスミュージックが好きです。
踊れる音楽が好きです。
骨組みのようなリズムがあって
さまざまな要素が規則的に、複雑に構築されていく感じが好きです。
言葉にすると理屈っぽいですが、
その論理的なところと、踊るという快楽的なものが一緒になって、
ちゃんと成立しているところが好きです。
そういえば桐生を代表する画家オノサト・トシノブの作品は、完全にそういうものだと感じます。 (構成が規則的かつ自由で、色彩は開放的な頃が特に!)
話があっちこっちにいきそうなので、ここらで終わりにします。
とにかく、織機の前でそんなことを考えていました。
かつて本気で好きだったものと今本気になっているものとが交わるものなんだなと。
では。