「什器などを自分で作る」ことについて
オルンが始まったおかげで“作ったらそこで自分の仕事は終わり”から”作ったものを自分で売る”、あるいはその少し手前までをやることになって数年経過しました。そこでいくつか思うこと。
「織物を生み出すのと同じくらいの熱量で、その織物の価値を伝えよう」
これは私が数年前に掲げた数ある(!)目標の一つ。小売業の人からすると当たり前のことかもしれないけれど、製造業でしかも現場中心の人にはなかなか大変な目標です。もっとも実際に行動してみたら「予想してたよりもずっと大変な作業」だと思い知ったのだけれど。
商品やブランドの世界観をよく考え、それに合う什器や写真やテキストを作成するのだけれど、それがとても奥が深い。これは「自分のことは案外自分ではよく分かっていない」状況に似ていて、判断に悩んだり、納得のいく答えにたどり着かなかったりします。作業時間もずいぶんとかかってしまっています。それでも僕は自分でやったほうがいいと確信しているのですが、今日はDIY的な作業に関してその理由を考えてみました。
- 名探偵は気持ちがいい。
織機の修理で使う工具を買ったり、建物の修繕などで日ごろからホームセンターに行くことが多く、休日も子供を連れてホームセンターをウロウロしがちなのは“織物自営業者あるある”らしいです。
目的とは関係なくてもいつも「使えそうなものはないか」と目を光らせているおかげで、ある時に点と点がつながることはよくあります。この部品を買えば、工場での奥で眠っているアレが活きるはず!と。それが上手くいったときは名探偵的な感覚で気持ちがいいものです。晩ごはんを食べながら家族にアピールしつつ「さすがオレ!」と自己満足の極みです。
- 価値の発見と再生
すでにある(けど役に立っていない)もの、使い道がない(とされている)もの、をアイデアと工夫で価値あるものへと生まれ変わらせる作業。そもそも私はこれが大好きです。しかも昔から。下北沢、高円寺などで古着を安く買って自分なりのスタイルを作ったり、誰も聞いたことがないレコードを買い漁り、その中から偶然に出会えた名曲(と感じたもの)をDJとしてミックスしたり。真っ白なキャンパスにフリーハンドで独創的な絵を描いていくよりも、むしろ、なにか不具合や課題などのきっかけがあるほうが、創作意欲が湧いてくる性分なのも確か。
もはや死語ですが「リミックス世代」という言葉。なるほどです。
- 生きる力を身に付けたい
織機の修繕や什器の自作など、見る人によっては遠回りに思えるだろうし、効率が悪そうに見えるのだろうけど、個人的には好きなことをしているので、案外達成感で満たされていたりします。そして個人的にはこうやって自分に「生きていく力や技術」が見に付いて成長できたことの方が重要だとも思っています。周りに頼れる時間はあとわずか、という衰退産業ならではの危機感のおかげでもあります。
- そういう環境にある
もし自営業者でもなければ、上司から「さっさと結果を出せ、はじめから専門家に任せてもっと精度の高い仕事をしろ」と怒られてしまうかもしれません(もっとも父からは同じように言われていますが)。もちろん私にもいつまでに形にしなければいけない、というタイムリミットはあるけれど、そのあとまたやり直しても怒られることはありません。私たちは納期に追われることもありますが、なるべく丁寧に生きていこうと思っています。そういう「ゆっくりと丁寧に生きることのできる環境」をオルン(あるいは井清織物)は何年もかけて手に入れたと自負しています。
そうだった、私は人より時間がかかる。手や頭や感覚が慣れるまで私は時間がかかるほうだと思っています。図工の時間だったら先生に提出するころ慣れてくるので、いつも時間がたりないなあと感じていたものです。
ちなみ桐生の織物関係では泉織物の泉太郎さんも展示什器の重要性をずっと前からぼくに伝えてくれていたし、最近ではパンセギャラリーの藤井さんやバイオリン工房の伊藤タケさんなどからもDIYの刺激をもらっています。
そういうわけで近頃は木工作品や大工作業に興味が出てきたり、家具やら北欧の椅子やら、前から気になっていたものがどんどんつながってきています。
夏の終わり頃に「モノをつくることの喜び」という言葉を皆川明さんの講演で聞きました。素晴らしい問いかけだったので、あれから度々考えていましたが、少しずつ答えが形を見せてきたように思えます。